良きものは良き

2019年8月からこちらでお世話になります しばらく慣れないと思うのでちまちま変えます

2013年1月17日


阪神淡路大震災から18年、


毎年毎年書かせてもらってます。

知ってほしいから書いていたつもりなんですが...

自分の為に毎年書いてるのかもしれない。


当時私たち家族が
父の車で疎開することになって
近くの公園を通りかかった時
自分で発言した言葉が記憶にある。

「家はいっぱい倒れたけど、ここの木は倒れんかったんやな、神様は、自然のものは壊さへんねんな」

一本松のような事は
焼け野が原の長田でも見た


私の中の阪神淡路大震災は、未だ終わってないんじゃないかな?
というか
小学生の時からこの日に関しては
私が進んでいないんではないだろうか


無いものねだりだと思う、

地下鉄サリン事件で世間の目が一気に流れ

被災してから三ヶ月で

「いつまでも被災者ぶるな」

と言われ

それが今回ゆっくりながらに過剰なまでにテレビで同情を誘う様子にも

(1995年にもあっただろうにそれを知らないから)
嫉妬しているんだと思う。
そう思っている自分がひどく子供っぽく思えて、余計にしんどい。


一日なんて
なんて事のない日で

日付の習慣にとらわれているのは人間だけ、

一年だ何周年だと騒ぐのは、社会に飼われているからだ、

と、思ったりして

踏ん張れば踏ん張るほどに自分を苦しめ笑


でも...なんでこんなに考えてしまうのか?

私は家が全壊したわけでも家族を失ったわけでもないし

地元の友達とはまぁあんまりそういう話はしないけど

やっぱり
東京という土地に住んで
阪神淡路大震災の話をして
その度に同情されて、
悲劇のヒロインで居たいんじゃないか?

とか
考え出すと

頭が痛くなる笑


今年は
強く何かを書けるわけでもなく

葛藤...

去年より覇気がなくてどうするねんうち(;^ω^)


それに

これだけ阪神淡路大震災の事を話す私が

広島へ行った時に戦争のお話をチラッとして(楽しい飲み会が私のせいで話題が重くなってすみません)

瞬時に人が亡くなった事は変わらないのに

終戦記念日に毎回なにかを想って黙祷しているかといえば

そうでもない。

新潟の地震が発生した時に
「かわいそう」
と思っても

毎年その時間に黙祷するわけでもない

人の記憶は薄れていくし

こうやって私が毎年書いても

私が忘れるのと同じで

被災者以外の人はもっと早く忘れる


私が葛藤している今から、次に進むには
変わるには、
より自分の気持ちと向き合い、自分が何を思うかの汚い部分も認める事だと思っていて


だから書きます

正直な話

被災したと言っても
一瞬で圧迫され
火事にあってしまった
逃げたくても逃げることの出来なかった人を知っているから

自分の足がついている状態で判断を誤り
それで海の方に向かって死んだという人で‘犠牲者’という名の‘自殺者’が多いことが
どこかで許せないでいる

被災地を、被災県だとし、特に被害が無かったのに「がんばろう」に乗っかり商法しているのにも疑問がある

自分が苦しかったアピールがしたいわけではない、
私はかわいそうなの、あなたにはわからないでしょ、とアピールしているやつに腹が立ってくる
...そんなのわかるわけない。

阪神淡路大震災で被災していただろうに、勝手に新たに被災地で死亡者を増やす奴にも腹が立つ

そして
未だに
「比べ物にならない」
と言われることに対して

痛む


それでも、その人にしか解らない痛みがあって、

それと戦いながら、何年も生きていく


そして
毎年毎年行われる
竹筒に灯をともす行為に
私は縛られているのかもしれない

経験しなければ解らないこと
でも
経験したが故に何年も逃れられないこと

何が正解なのか見つけ出せずに、居る


人は変わらない
戦争や
関東大震災
阪神淡路大震災
東日本大震災を経験しても

世間は、人の気持ちは
何も変わらない

人間は
いきることに
温いと感じた


考えすぎている自分が、
異常者のようにも思えてくる

生き抜くということは、

自分が思っているより難しくて
自分が思っているより簡単な事


それでも
私は
生きていかなきゃ
いけない


そんな風に思う、18年。


街を歩く人には
なんら変わらない日で、
でもその一日が私の軸を作った一日


また、明日。


2013年1月17日
本村彩織