良きものは良き

2019年8月からこちらでお世話になります しばらく慣れないと思うのでちまちま変えます

1月17日は火曜日っていう気が、してしまう


19年。

すみません、朝の独り言は、時間誤って送信してしまい、編集しました。
申し訳ありません。その時間には起きてました。



毎年やっぱり、書かせてもらってます。


阪神淡路大震災です。
昔から読んでくださる方には、本当にしつこいかと思いますが…
ご存じないかたもいらっしゃると思うので

正直、悲しいかな、私も年々記憶が緩やかに薄れていきます。



私はほとんどが焼け野原になってしまった、長田区の出身です。

当時は9歳でした。
倒れてきた家具の打ち所が悪ければ、私は死んでました。時間帯も別の時間なら、私も家族も、どうなっていたのか…


正直、もう、この事を書くのも、
止めようかなと思ったこともありました。

それでも、その事について書いてしまう自分もいて。

思うことは
たくさんありすぎて
19年たった今でも、消化しきれない
けど…19年経ったから、消化できなくなったのもあるけど


今年は、それ以降の話を、私の目線で書いてみたいと思います。

阪神淡路大震災


我が町長田は、
倒壊や焼失で、ほとんど更地になりましたが

その後、繁華街である三宮に近い事などから、再開発、副都心化が進みました。


上京してから、帰郷するたびに
商店街は新しいものに
そしてどんどんビルが立ち並び、高層マンションが建ちました。
鉄人28号もたちました。
復興、したように見えました。

しかし人口は、年々減っている…、

私も、長田を離れ、東京に来た身です

夢を追いかけて出てきたけれど


地元の商店街、大正筋は
シャッターを閉めた店が多い事や
前まであったのに、次に帰ってきたら閉店していた店、
ずっとやってる店ももちろんあるけど、
友達は、長田で店をやっていたり、地元で頑張っている子も、知っている。

しかし、全体的に人が少ない印象はあった。

長田は、こんな町だったか…?


神戸市、長田区、それぞれに

いまだに問題を抱えていて


復興とはなにか?

建物が新しくなれば復興なのか、

瓦礫がなくなれば復興なのか

仮設がなくなれば復興なのか

年月が過ぎれば復興なのか

人が戻れば復興なのか

人が忘れたら復興なのか


19年経ったと言うことは、
知らない人がいたり、忘れられたり、自分も忘れる事があったり、

今現地に住んでいる方も
私のなかでも
年月が経ってしまい

良いのか悪いのかわからない


被災者は、心に空洞ができたまま、その上からセメントを流しいれられ、それで完治したでしょうと、言われたようなものかもしれない

被災者は、なにかを手にいれて、なにかを失って

阪神淡路大震災から三ヶ月
サリン事件があって報道が集中し
いつまでも被災者ぶるなと世間は言い出した

同情がほしいのではない
かわいそうな私を助けてとも思わない
でも被災者は、一生被災者である


復興とはなにか


私一人でなにか出来るわけではない

しかし私がここで踏ん張っているのには
意味がある

私は

長田が誇れるような

神戸が誇れるような

…そんな人になりたいから!
強くなりたいから
私は


そのためには、
生きねば、いけない


私は、亡くなった方々の事を思い、地元を考え、震災を風化させないためにという他に


自分のために書いている。


私は、私として、被災者として、

私の夢を叶えなきゃ、いけない。

終わるわけにはいかない。




あ、もしも長田に立ち寄る事がありましたら
皆さんにおすすめ、私も通ったら買っちゃいます。


大正筋にある、牛すじ、ホルモン専門店、和さんの、ぼっかけ牛まん

うまい。

豚まん関連はソースをかけたくなる私ですが、そのまんまでストライク。

めっちゃウマイです。帰るたびに食べたくなります。

名物なおじさんのフレンドリーな接客が印象的なお茶屋さんもおすすめ。 おじさんの似顔絵煎餅もあります。



我が町長田へ、幸あれ。




2014.1.17 本村彩織