良きものは良き

2019年8月からこちらでお世話になります しばらく慣れないと思うのでちまちま変えます

1月17日、私の携帯にはこの日だけ使われるアラーム1がある

さて,今年もこの日がやってまいりました。

新年あけると,もうそろそろか,と思います。


1995年1月17日5時46分。
阪神淡路大震災が発生しました。
当時は兵庫県南部地震でありましたが…。

震度7が初めて適用され
直下型の激震が兵庫県南部を襲いました。

その後木造住宅が多かった当時は冬だったという事もあり
地震発生からすぐに火災が発生。
水道も止まった為消火活動もままならず

我が町長田区は火の海と化していきました。


それから16年後
3月11日に東北地方沖で地震が発生。大津波が東北沿岸部,太平洋に面した地域が被害に遭いました。

私もあの時は当時を思い出しパニックになり
東北で出会った方々の顔が次から次へ頭をよぎりいてもたってもいられなくなりました。


被災地の情報収集の為につけっぱなしにしていたテレビでは
わかりやすくする為にそうしたとは思いますが
阪神淡路大震災と比較する内容が多くなり
私の耳には
まるで阪神淡路大震災が軽かったように聞こえるようになりました。

神戸が復興した様に
それがあったから通じるものがあるならばそれを生かしてほしいキモチも
被災した範囲が広かったから大きな被害にあわれたと思うキモチもあったのに

自然災害において
大きければ勝ちで少なければ負けか?
メディアを見て阪神淡路大震災は「たいした事なかったのか」と思われるかもしれない
同じ地震でもモノが違うしタイプも違う。

同じ災害なのに
どうして比べるのか?
解らなくなった時に私も必死に探していました
阪神淡路大震災の方が大きかったナニかを

見つけた時に
阪神淡路のが多かったぞ!と叫んだ私はその時点で弱い人間だった事に気付きました

私は 結局数で勝負したがるやつと同レベルであったと…


阪神淡路大震災を忘れられたような気持ちになってしまったんです。
阪神淡路の犠牲者が無かったかのような気持ちに憤りを感じたんです。


でもやっぱり犠牲者がいる事に大きいも小さいもない。
ただ自分が被害にあった時に助けてもらったから
あの時は東北から全国から神戸にきてくれてありがとう
だから神戸から今東北にできる事があれば手伝わせてね

だから神戸市水道局のやってくださった事はまさに‘絆’だと思いました。

地震大国日本に生まれ
同じように困っている方々に(個人の思惑なんで揺れる時もありますが)
お互い様
を貫き通すのが私の美学です。

生きるということは前々から書いていたので
今回は素直な気持ちを書いてみました。

ありがとうでもない。さようならでもない。

過酷に
生きる
ということを教えていただいた身です。

どうか安らかに。

1月17日
本村彩織