良きものは良き

2019年8月からこちらでお世話になります しばらく慣れないと思うのでちまちま変えます

1,000円の重さ

私は

妙にモノに対し愛着がわきすぎる傾向にある。

まわりから見たらガラクタでも
どうやっても捨てられないモノもある。

それを、二年ほど前に某A氏に背中を蹴り飛ばされ、

断捨離精神を叩き込められてからは、
捨てられないならば買わなければよい!と

モノを増やさない主義になった。


と、言えば聞こえはよい←

平たく言うとただの貧乏性である←

いただきものの高い化粧品、未開封のまま、いつまであんねん!

とか

ただのチラシでも、イラストや写真の中の顔と目が合うと、目を反らして捨てるか、目を反らされなければ、一旦置いておこう...と思ってしまう。

もったいない、これを頑張って作った人がいる、と思ってしまうと、もう大変、そちらの気持ちの方が勝ってしまう。

高校の頃、甲子園の売り子をしていて自分で稼いだお給料を、5〜6年使わずに‘へそくり’と言って使わなかったり(高校生なんで、当時稼いだ二万円ほどなんですが...)

自分が定期的にやるようになったアルバイトのお金は、使えるのだが、

私は、たぶん生活水準が低い。というか、現在は金銭的なものに興味がない。


20才前後の頃は、ブランドに興味を持ち、某海外ブランドに憧れを持った時期もあり、

現在使っている財布はその頃の名残で、ずっと使えるモノを、と

ルイヴィトンの財布を自分で誕生日に買ったものだ。

しかしそれから、一気にブランドへの興味が失せ(高いモノはポンポン買うのではなく、頑張って働いて、ずっと使うからこそ意味がある!と思い始めた)

それからはお洋服に興味を持ち、
‘まるきゅー’や‘あるた’でバンバン買い物をした。


が、やはりよく着る服着ない服が出てきて...
流行りもんは一時!自分が本当にほしいと思ったものを買うべきだ!

と思うようになり、今度は旨いアルコールへ←

そうして、お金の使い道にどんどん変化が見られ(こう書くとほんとにミュージシャンかよ!と思われるでしょうが、トロンボーンはありがたいことにあまり消耗するものがない笑)


そんなわたしなのだが、やはりどうしても使えずにいるものがある。

父親が体調を崩した時、父親の家に行って、おつかいしてくる、と言ったら
「これで買うてきて」

と、渡された1,000円札。


.....つ、使えねぇ....(--;)

わかっちゃいる。
たかが1,000円札。
父親が作ったものでもなければ、ただ、神戸付近でそれがまわるだけ、
なのだ。

が、買い物を済ませレジへ進んだ私は、自分の財布からお金を出した←


それっくらい貧乏性なのだ!!!←


上京してからといっても過言ではないほど、ずっとお世話になっている方がいる。

普段は厳しく、私以上に
ダメなものはダメ!いいものはいい!が極端な方で、

私も何回も怒られた事がある。

先日、その方に、ひょんな事から私を心配させてしまった。

「弁当でも食え!」

と、1,000円渡された。

「えっいやっ、なんでですか!」

と焦ると、

「いいから電車で弁当食え!」

と、1,000円札を手渡された。

その1,000円札をいただいた理由は、
その方と私にしかわからない。


長い付き合いの信頼感のもと、私はありがたくいただいた。


きっとその1,000円も、お弁当になるでもなく、ビール代になるわけでもなく、ずっと、とっておくのだろう、と思う。


....この大事な2,000円は、自分の生死に関わるときか、
意を決して楽器を購入するときに、大切に使おうと思う。


......なげーな(^q^)最近またとある自叙伝読んだからその影響(^q^)


また明日!


★☆もさこ☆★