良きものは良き

2019年8月からこちらでお世話になります しばらく慣れないと思うのでちまちま変えます

1995 1/17 5:46


もう書くのは良いかなぁと

毎年毎年思いながら

その日になると


あの日に戻るから

気持ちは、よくなくて


毎年書いて、

でも、
忘れる人は忘れるし

覚えてる人は覚えてるし

もうそれで良いような気がして


16日深夜に、昔の携帯を漁って
たまたま留守電に入っていた亡き祖父の声を聞いて

涙腺崩壊していた


本村です。


では、今年は、、

記憶はやはり薄れていくけど

その時のあまり人に話したり書いたのことのない、うっすらした記憶と、
はっきり覚えている出来事を

備忘録として書こうと思います。


当時、

寝ていた私は小さな振動で目を覚まし

じーちゃんが日曜大工でもしてるんかと思い

ベランダの方を向いたら

ものすごく明るかったんです。

何年もなんとも思ってませんでしたが

いつか
あの日の朝、明るかったことに違和感を感じ、
よく考えると
冬の早朝、あんなに明るかったわけはないんですよね。
8時位の明るさだった気がします。
お向かいさんのおうちの明かりでもなく、ベランダの窓から全体的に明るかったような、
証言がないので、誰か見てた人がいるかわかりませんし、
私ごときになぜ明るかったのかなんて未だにわかりませんが、

発光現象があったという情報もあったので、
もしかしたらそれかもしれません。

一瞬で激震になり、体が浮いてとっさに身を小さくしましたが

ガラスの割れる音や、隣のおうちの三姉妹のお姉ちゃんの
叫び声が聞こえて
金切り声のようでしたが
耐えながら、

寝ぼけていた私は、
隣に泥棒が入ったのかと思った記憶があります(揺れてるのは自分の家だけかと思った)

そう思ったのもたぶん1秒、2秒、位のめまぐるしいもので

身を小さくして布団にくるまりながら、

死ぬ、とは思いませんでしたが、

近所がでかいミサイルかなんかでぶっ飛ばされたみたいな


そんな気がしてたのを覚えてます。


起きてから、これは地震であり、自分は死んでたかもしれないと思いましたが、、、


私は9歳で震災を体験したので、人生に10年に1回くらい、こんな一瞬でなんもなくなるような、
天変地異が来るんやなと普通に思ってました。


実際に、新潟中越地震や、東日本大震災も起きているわけですが、、


そんな地震大国日本で

生きていくことが当然ではないと


死は、いつでも隣り合わせであると


そう思います。


この日はいつまでも、気持ちが子供の頃に戻ってしまい、感情的になってしまいます。


、、、忘れるのが、大半で、それについては、風化させないといえども、
1/17にならないと思い出さない人もいたり、なっても思い出さない人もいたり、
というかもう4割がしらない世代なわけで、
正直、21年も経ち、節目って人それぞれですから
風化は避けられないと思います。

人の記憶はわたしにはどうにもできないけど、


覚えていてくれると、
嬉しい、というか、心のつながりがあるというか、
暖かい気持ちになります。


だから私も、できるだけ、お会いしたその人その人の話を、覚えていたいです。

暖かい気持ちにさせてくれる人、

私も、そう、なりたいです。


どこまでかわからない、最期まで、
人を想って、生きたい。


では、
また明日。


2016年1月17日
本村彩織